3社連続で“クビ”になったアラフォー女が自分を考察してみるブログ

3社連続で“クビ”になったアラフォー女が1人語りをするブログ。

クズ女が中学1年生で友達に裏切られた件を回顧してみる。

こんにちは、急に日差しが強くなるこの時期は太陽アレルギーに悩まされるしょうちゃんです。

 

前回のブログでは私の両親について書きました。

今日のブログではその両親の元で自分がいかに育っていったのかを書いていきます。

 

私は何かと周りの大人に頼られる子どもでした。

しっかり者で正義感が強くて、勉強もそこそこできて…と言えば聞こえはいいけど、単なるガキ大将でした。

当時、オウム真理教の政界進出のニュースが報道されていて、

麻原が歌っていた

しょーこー、しょこしょこ、しょーこー、あ、さ、は、ら、しょーこー

の歌で男子からからかわれたこともありました。

私はその度に男子をぶっ飛ばしたりしていました。

 

ド田舎だから保育所と小学校は同じメンツ、25人しか同級生がいない小さなコミュニティーだったので、ガキ大将とはいってもたかが知れてますけど。

 

でも母にとっては自慢の娘だったようで、今でも実家には一番成績が良かった通信簿を飾っているくらいです。

 

でも感情の起伏が激しい子どもでした。幼馴染たちに心ない言葉を浴びせたり、納得いかないことを言われたら相手が先生だろうと突っかかっていく子どもでした。

 

中学では3年間バレーボール部に所属しました。

(3年間ベンチを温めました。キリッ)

そこで生涯忘れることができない“事件”が発生しました。

 

バレーボール部には計11人が入部しました。

ですが、1つ上の先輩はたったの3人しかいなかったのです。

9月に行われる新人戦には1年生も出なくてはならない状況だったのです。

しかも顧問の先生は産休に入ってしまい、教師になりたてほやほやの新人教師が顧問になったのです。

バレーの経験はきっとなかったと思います。

技術は教えられず、いつも「スマイル」「スマイル」って言ってました。

その先生の指導だけでは9月までに1年生を試合に出られるレベルに仕上げるのは無理。

同級生のお父さんらが休みの日に教えてきたりしてくれました。

私たちは必死でした。

半年後には一人前に試合に出なくてはならない。

私は運動神経はいい方ではありません。

でも幼馴染もいたのでなんとか食らいついて頑張っていました。

 

ですが、先輩たちとはどうもコミュニケーションがうまく取れませんでした。

たった3人しかいない先輩でしたが、キャプテン以外の2人は背も低くどうもうまくありませんでした。

そのくせ、威張る。

私たち1年生がうまくならなければ試合に出られないくせに。

その態度はないだろう。

 

ある日のミーティングで私は爆発しました。

なんと言ったかはよく覚えてません。

泣きながら、そういう態度はないんじゃないか的なことを言ったように記憶しています。

すると、その3人の先輩は辞めるみたいなことを言い出しました。

私は正直、辞めてくれて結構と思いました。嬉しささえこみ上げました。

1年生だけでチームを作って新人戦に出れば良いのだと思いました。

ですが、私の嬉しさとは裏腹に同級生たちが

「先輩、辞めないでください!」

って一斉に泣き出したんです。

あんなに陰で悪口言ってたくせに。

私は膝から崩れ落ちる思いでした。

 

同時に

 

友達ってこんな簡単に裏切るんだな

 

って悟ってしまったのです。

中学一年生で。

 

友達をあまり信じられなくなってしまったきっかけになったのです。

 

その後自分が謝ったのかも先輩とどう和解したのかもよく覚えていません。

先輩たちはたった3人で、それなりに苦労もあったのかもしれません。

たった3人で入部した先輩。

1年生の頃はもう先輩たちのために準備したりするのは大変だったかもしれません。

 

私は後輩が入ってきたら嫌な思いはして欲しくないなと思いました。

ちょっと厳しい時もあったかもしれませんが、なるべく優しく接するように気をつけていました。

 

今思うと自分の正義感がおかしな方向に行ってしまう展開はその後も多々あります。

それは今後書いていきたいと思います。

 

高校生になった私は、あることをやり遂げます。

今だったら絶対できません。

あの時の勢いはなんだったのだろう。

 

では、次の更新でお会いしましょう。