3社連続で“クビ”になったアラフォー女が自分を考察してみるブログ

3社連続で“クビ”になったアラフォー女が1人語りをするブログ。

クズ女は親もクズだった件。

こんにちは。最近気になる色は黄色のしょうちゃんです。

 

自分のクソみたいな性格の背景には両親の影響が少なからずともあると、前回のブログでお伝えしました。

GWに実家に帰ったのですが、母が特大のヒステリーを起こし、その怒り方が自分にそっくりで戦慄が走りました。

「こんな親にだけはなりたくない」

と思っていたのに、結果的にそっくりになってしまったことに戸惑いと情けなさを感じた次第です。

 

では、少しだけ自分の半生を振り返り、どこで道を間違えたのか探っていきたいと思います。

 

私は、秋田県羽後町という超ド田舎で、1982年に生まれました。

(あ、えっと生まれはお隣の横手市で、いろいろあって保育所のとき引っ越してきました)

どのくらい田舎なのかというと、まず羽後町には鉄道が走っておらず、最寄りの湯沢駅から自宅までは車でだいたい30分ほどかかります。

なので、移動手段はもっぱら親が運転する車でした。

最寄りの中学までは自転車で1時間かけて通い、高校へは親が車で送り迎えしてくれました。

見渡す限り田んぼと畑しかない町で、絵に描いたような田舎風景が広がっています。

「秋田だから夏は涼しいそうだね」

とよく聞かれますが、そんなことはなく、夏は蒸し暑く、それでいて冬はドカ雪で、本当にこんなところによく暮らしていけるなと思ってしまいます。

 

私の父親はお隣の横手市出身。しかし生まれはなんと東京港区の南麻布。ずっと秋田生まれだと思っていたのですが、専門学校に書類を送る際に親の戸籍が必要になり確認したところそう書いてあり、母親共々驚いたことを記憶しています。

父親は昭和19年生まれなのですが、直後に家族共々秋田に疎開。戦後は東京に戻ることなく、そのまま居着いたようです。

今から5年前に大腸がんで亡くなりました。

 

母親は生まれも育ちも羽後町。要は父はお婿さんなんですね。

2人ともバツイチで中卒。

高校に進学せず、祖父の農業を手伝いながら洋裁や和裁を教わり、縫製会社にパートで勤めていたりしていました。

昔から気が強かったみたいで曲がったことが大嫌い。

通信簿に担任から一言みたいなところあるじゃないですか?あれが気に入らなく担任に抗議したこともありました。

そんな性格だからPTAの副会長をやっていたりしていました。

 

父親は大工だったのですが、どこかの工務店や建設会社に勤めてるわけではなく、要はただの1人親方。

フリーランス大工。

生涯フリーターだったわけです。

そして、とにかくお酒の量がすごかった。

毎晩、そふと新光という安い焼酎を飲みながら2時間の晩酌。

日曜日は昼からずっと飲んでいました。

そして飲酒運転も当たり前。どこかで飲んで自宅近くの田んぼに車ごと落ちて歩いて帰ってきたこともありました。

気が強い母とは毎晩のように衝突。

父は家では朝の挨拶もしないほどの無口でした。

 

父との生涯会話時間数は、30分にも満たない。

 

といっても全く過言ではありません。

 

しかしながら、自宅を一歩出た途端、人が変わったようにしゃべる性格に豹変。お酒が入ってもそうでした。ただ、素面のときだけは全くしゃべらない人でした。

なので、母とのケンカといっても母が一方的にまくしたてているだけでした。

 

このとき私は

 

「こんな人間にだけはなりたくない、早く家を出て仕事をしたい」

 

と思うようになったのです。

 

 

では、次の更新でお会いしましょう。